『ジョニーは戦場へ行った』4K全国公開中
終戦80年企画『ジョニーは戦場へ行った』4Kと『野火』4Kが角川シネマ有楽町ほかで全国中。このたび、角川シネマ有楽町での『ジョニーは戦場へ行った』上映後に町山智浩がトークショーにリモート登壇しました。
町山はまず戦争映画については次のようにコメントしています。
「映画はタイムマシン、タイムカプセルみたいなもので、戦争を体験した人たちが作った映画を観られるのがいいと思います。ゴジラの本多猪四郎監督、岡本喜八監督、『兵隊やくざ』、『人間の條件』、『人間魚雷回天』、三船敏郎さん、これらの作品は、現場のスタッフも、原作者も脚本家も、演じている人たちも、みんな戦場を体験した人たちばかりで作っていますので、そういった映画を観ることが一番大事だし、それが映画の力だと思います」
本作『ジョニーは戦場へ行った』について次のようにコメントしています。
「初めて観たのは、僕が小学校 5, 6 年の時、名画座で観ました。ティモシー・ボトムズの人気もあり、ダルトン・トランボも有名な人だったので、ミニシアター1 館の公開でロングランでした。その後、TVの『月曜ロードショー』で放映されて、学校でも話題になったので、僕と同世代の多くの人が観た映画の 1 つです」
アメリカでの評判については次のようにコメントしています。
「ダルトン・トランボが自身でかなりのお金を出して作ったインディペンデント映画でしたが、アメリカでは公開当時、興行的にうまくいかなくて、カルト映画になっていく。劇場公開の後は、ローカルの TV で放映されたようですが、アメリカで爆発的に有名になったのは、1988 年にメタリカというメタルバンドが『One』というシングルを出したのがきっかけです。ミュージックビデオに本編の映像をふんだんに使っていて、歌詞の内容も主人公ジョーの心情を反映しています。その後、VHS、レンタルビデオ、DVD が出て、現在も、カルト映画という位置づけだと思います。アメリカでは、原作本の方が有名なんです。原作は、ダルトン・トランボが映画関係の仕事を始めた10代、アメリカが第二次世界大戦に参加する前に書いたもの。アメリカが戦争に参加するかどうか迷っている状況だったので、反戦のメッセージを込めた本として、当時大きな話題になり、かなり売れています。原作本は、学校の図書館に置かれるような形で、ずっと読み継がれています」
反戦小説の映画化については次のように語りました。
「最初に映画化しようとしたのは、ベトナム戦争の前。トランボが赤狩りによってハリウッドで表立って仕事ができなくなり、亡命のような形でメキシコに入る。その頃、メキシコは民主政権で、世界各地から同じような人たちが逃げる場所でした。メキシコには、軍事独裁政権のスペインから逃げてきたルイス・ブニュエルもいて、映画を撮っていたので、ルイス・ブニュエルと映画を企画したそうです」。
日本では公開当時、反戦映画として捉えられていたのか聞かれると次のように明かします。
「日本での劇場初公開時、配給のヘラルド映画が、完全な恋愛青春映画として売っていた。日本のポスターは、ジョーが恋人カリーンを抱きしめて駅で別れるところの写真を使って、愛と感動の名作として売ったので、劇場に観に行った人はびっくりしたと思いますよ」
ダルトン・トランボについては次のように解説しています。
「彼は非常におもしろい人で、『スパルタカス』という古代ローマで反乱を起こした実在する奴隷のリーダーを描いた映画、最後の作品となった『パピヨン』という、これも実在の、南米の地獄の刑務所に送られたスティーブ・マックイーン演じるパピヨンが何度も脱出しようとする脱獄映画の脚本を書いた。そして、『ジョニーは戦場へ行った』。この 3 本とも戦い続ける主人公を描き、自分の話にしていて、3部作と言っていいくらい。本作に登場する、コロラドで森の中で暮らしていてお父さんと釣りに行ったとか、ロサンゼルスに引っ越してパン屋で働いていたとか、全部トランボ自身の話です。トランボは赤狩りで追い詰められても、生涯に亘って書き続けますが、実際そうなる前に、『ジョニーは戦場へ行った』で自分の人生を予言してしまった。初めて監督したのが 65 歳、記録に残るほどの高齢ですが、自分でやりたかったと思います。ただ、ジョーの記憶と夢が混沌としている描写など、ルイス・ブニュエルのタッチがかなり残っている。キリストが大工として十字架を作っているシーンも、ブニュエルのキリスト・ジョークです」
本作のキャストについては次のようにコメントしています。
「公開当時、ティモシー・ボトムズは『ラスト・ショー』で青春スターとして人気だった。田舎の青年にしか見えないです(笑)。非常にいい演技をしてるのは、父親演じるジェイソン・ロバーズ。それまでは、アル・カポネなど悪役をやっていた。その後、『ジュリア』という傑作に出ましたが、本作からいいお父さん役に移行してきましたね。ドナルド・サザーランドがキリストの役!ベルトルッチの作品とか、悪魔のような役をやっていた人で、キリストには1 番遠い人ですよ(笑)。キリストなのに博打もする。キリストは全能の神だから、博打をしたら全勝ちしてしまう。これも、ブニュエルタッチのジョークですよね(笑)」
本作の悲劇性については次のように語ります。
「ジョーが砲撃を受けた辺りは、自分が生きてるか死んでるかもわからなくて、異常な精神状態になるが、理性や時間の感覚を取り戻し、頭脳が明晰になり論理的思考ができるようになる。正気になればなるほど、彼にとっては残酷で、気が狂っている方が楽。自分一人だけ正気でいることの怖さがダルトン・トランボらしい。トランボは究極の恐怖として描いたが、まさか自分自身がそのような身になるとは思わなかったでしょうね。脚本家としての権利やアメリカ国内での人権を奪われ、自分が書いたことが実現してしまった。彼の最後の作品『パピヨン』は、『ジョニーは戦場へ行った』の裏返しのような作品。最後に、『ざまあみろ!俺は生きてるぜ!』とパピヨンが叫ぶシーンがある。ダルトン・トランボは生涯暴れ続けた男。一貫した人生を送ったと思います」
終戦 80 年を迎える今、戦争映画を観ることの意義について最後に語りました。
「ダルトン・トランボもそうですが、戦争を体験した人たちの映画を観ること。クリント・イーストウッドが言っている『戦争に行った人の言うことを聞く』、これに尽きます。映画は証言であり、映画で一生懸命再現しているので、戦争体験者の心の叫びだと思って、戦争映画を観てください」
終戦 80 年企画『ジョニーは戦場へ行った』4K 触覚以外の全感覚と四肢を失い“意識ある肉塊”と化した青年の魂の叫び
ジョーが目を覚ますと、病院のベッドの上に横たわっていました。第一次世界大戦下、志願してヨーロッパ戦線に出征したアメリカ兵の彼は、砲弾により目、鼻、口、耳を失い、運び込まれた病院で両腕、両脚も切断。首と頭がわずかに動き、皮膚感覚だけが残ったが、姓名不詳の<407 号>と呼ばれ、軍部の実験材料として生かされることに。鎮痛剤を打たれ意識が朦朧とする中、ジョーは想いを巡らせます。最愛の恋人カリーンとの出発前の一夜、釣り好きだった父親と過ごした日々…。
[作品情報]
原作・脚本・監督:ダルトン・トランボ「〔新訳〕ジョニーは戦場へ行った」(角川新書/KADOKAWA 刊)
製作:ブルース・キャンベル
撮影:ジュールス・ブレンナー
編集:ミリー・ムーア
出演:ティモシー・ボトムズ キャシー・フィールズ ジェイソン・ロバーズ ダイアン・ヴァーシ ドナルド・サザーランド
1971 年/アメリカ/112 分/カラー・モノクロ/ビスタ
©ALEXIA TRUST COMPANY LTD.
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