『私たちが光と想うすべて』7⽉25⽇
インド映画史上初第77回カンヌ国際映画祭グランプリ、100を超える世界の映画祭・映画賞にノミネート25以上の賞を獲得した『私たちが光と想うすべて』が、7⽉25⽇(⾦)よりBunkamura ル・シネマ 渋谷宮下、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかロードショー。このたび、本編映像が公開されました。
公開された映像は、困難な愛と、その背後にあるインドの現実をドキュメンタリーとフィクションを交錯させた“ハイブリッド⼿法“で鮮やかに、わずか100秒で描き出したシーン。
「村にいた頃、⽇が暮れるまでサッカーをやってた」「客室乗務員になりたかったの。こっそり受験申請したんだけども、⽗が怖くて⾏かなかった」「おかげで僕は君と会えた」「機内で出会ってたかもしれないわ」だがその後、アヌの⺟親からの電話で現実に引き戻されてしまう
ー。
夜の市場を歩きながら交わされるのはごく普通の恋⼈たちの美しい時間と、向き合うべき現実とそこからの逃避。このわずかなシーンの中で描かれるのは、インドにおいてなお根深い<異なる宗教間の婚姻>という困難。個⼈の愛が家族や社会に阻まれる様⼦を、鮮やかかつ繊細に映し出しています。
カパーリヤー監督は次のようにコメントしています。
「『私たちが光と想うすべて』は、前作(『何も知らない夜』(2024)/ラブストーリーであると同時に学⽣運動を描いたドキュメンタリー)のように直接的な政治性は持っていません。だけど私はすべてのものには政治と関わりがあると思っています。
インドにおいて愛は極めて政治的。だから、この映画が政治的要素を持たないとは⾔いません。誰と結婚できるかだって⾮常に複雑な問題です。
カーストの問題や宗教の問題は、誰と⼈⽣を共にするか、そしてそれがどんな結果をもたらすかに⼤きな影響を与える。結ばれることのない愛はこの映画の主要なテーマの⼀つで、⾮常に政治的なものです」
ドキュメンタリー経験者でもあるカパーリヤー監督。本作では街中を⼩さなカメラでゲリラ撮影した映像と録⾳した環境⾳をドラマに取り込むという⼿法を取り⼊れ、彼⼥の類稀な感受性を通すことで、詩的でありながら鋭く現実を突きつける唯⼀無⼆のアートへと昇華、本作は、その表現の豊かさから「ドキュメンタリーというジャンルの可能性を広げた」と⾼く評価されています。
カパーリヤー監督は次のようにも語ります。
「ノンフィクション映画を作る時は撮影して編集し、⾜りない部分を⾒つけてはまた撮影に⾏くというプロセスを繰り返す。もちろん完全には難しくても私はフィクション映画を作る際にもそのアプローチがしたい。例えば、最初の編集作業で、三⼈の⼥優の関係は私が思っていたよりもずっと強いものであることに気づきました。だから後編ではもっとそれを描きたかった。
フィクションとドキュメンタリーを共存させることは私にとっては今でもとても重要なことです。私が試みているのは、フィクションをノンフィクション的なアプローチで扱うこと。この⼆つを共に考えることでノンフィクションはよりフィクションらしく、フィクションはよりノンフィクションらしくなると強く信じています」
夫々の人生を変える決心をして…
インドのムンバイで看護師をしているプラバと、年下の同僚のアヌ。⼆⼈はルームメイトとして⼀緒に暮らすも、職場と⾃宅を往復するだけの真⾯⽬なプラバと、何事も楽しみたい陽気なアヌの間には少し⼼の距離が。
プラバは親が決めた相⼿と結婚するも、ドイツで仕事を⾒つけた夫から、もうずっと⾳沙汰がありません。
アヌには密かに付き合うイスラム教徒の恋⼈がいるも、親に知られたら⼤反対されることはわかっていました。
そんな中、病院の⾷堂に勤めるパルヴァディが、⾼層ビル建築のために⽴ち退きを迫られ、故郷の海辺の村へ帰ることに。揺れる想いを抱えたプラバとアヌは、⼀⼈で⽣きていくというパルヴァディを村まで⾒送る旅に出ます。神秘的な森や洞窟のある別世界のような村で、⼆⼈はそれぞれの⼈⽣を変えようと決意させる、ある出来事に遭遇して──。
『私たちが光と想うすべて』は、7⽉25⽇(⾦)よりBunkamura ル・シネマ 渋谷宮下、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかロードショー。
[作品情報]
『私たちが光と想うすべて』
原題:All We imagine as Light
監督・脚本:パヤル・カパーリヤー
出演:カニ・クスルティ、ディヴィヤ・プラバ、チャヤ・カダム
2024年/フランス、インド、オランダ、ルクセンブルク/マラヤーラム語、ヒンディー語/118分/1.66:1
字幕:藤井美佳
配給:セテラ・インターナショナル PG12
公式HP:watahika.com
公式X https://x.com/Watahika_cinema
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